グインのブログ

PMのお仕事、オーストラリア移住の話題や、楽しいセカンドライフを模索するブログです

発達障害に対するオーストラリアと日本の違い

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タイトルからして重そうな内容なので、なるべく重くならないように淡々と書いていきますね。

また、この記事はいち保護者が体験した一つの例ですので、良い事も悪い事も参考として読んで下さい。

 

 

はじめに

私には息子が二人いて、今年成人を迎える長男は最近よく話題に耳にするようになったADHDの軽度なものと、LD(学習障害)を持っています。

幸いな事に言語能力も思考能力も健常者並みなので、初めて接する人たちは障害を持っているとは気付かないレベルです。

しかし、精神年齢は実年齢に比べて幼く、相手の気持ちを察することが不得手で、相手が興味のない態度を示しても、ひたすら自分の話を続けてしまいます。

何事も自分の都合のいい様に解釈し、人の失敗を平気で嘲笑します。
そんな性格のため友達が作りに苦労しています。

少数と分数の理解が難しく、ピザを見れば何分の何は理解出来ますが、数式になると理解が出来ません。

そして自分には障害があるという事を受け入れられないため、今ある障害者3級の手帳も更新しに行くか怪しい所です。

健常者と同じレベルでは就職は出来ないため、時間をかけて彼に自覚をしていってもらうしかありません。
でも、基本的に優しく、とても純粋な子です。

 

日本の幼稚園、小学校1年生

幼稚園では手の焼ける子供だったでしょうが、先生にとても可愛がってもらい、お友達とのトラブルもあったでしょうが、楽しい思い出が沢山あったようです。

問題が顕在化したのは小学校一年生からでした。担任の先生は教師一年目の女性の方でした。協調性が低く、落ち着きがなく、学習障害も相まって、先生も苦労されたと思います。

 しかし、女房が何かの用事で学校に行った時、教室に入った途端、クラスメイトの女の子から「〇〇くんは、今度先生の言うこと聞かなかったら、幼稚園に戻らないといけないんだよ」と無邪気に言われたそうです。

後に先生から直接謝罪して頂きましたが、未熟なため息子に手を焼いた時に何度もそのような叱責をされていたそうです。

一般的な公立小学校でしたが一年間通っている間、学校側から発達障害児に関する何かしらの方針や対策、取り組みに関する情報はありませんでした。

 

オーストラリアの小学校二年生〜中学二年生

オーストラリアの一般の公立小学校には、二年生から転校しました。向こうの学校では担任先生も校長先生も保護者と対等な立場として頻繁に話しかけて来てくれます。

また、学校の設備費を集めるためにBBQパーテイーを開いたり、スクールコンサートなどで学校と保護者は一体となって学校運営を協力していく文化があります。

 そして発達障害や英語の分からない移民の子供たちに対する支援が充実しています。

転校時に我々家族が校長室で話し合ったことは、英語が全く話せない息子二人のために、英語を教えてくれる支援の先生が、担任とは別に付けてくれるというものでした。

 そして長男に軽度の発達障害があることを相談した際、小児科の先生を紹介して頂き、その旨の診断書をもらってきて欲しいと言うものでした。

医師からの診断書が有れば、学校側から自治体に申請が出来、自治体から学校に対してその生徒を支援するための教員を雇う助成金が出るとのことでした。

医師からはリタリンやコンサータなど、服用時の状態や症状に合わせて、色々な薬を処方してもらいました。

リタリンを1/2錠服用した日の授業は落ち着いて受けれたかを先生に確認したり、帰宅後も頭痛が酷くて元気がなく、そのまま寝てしまう日があったりすると、医師から違う種類の薬を処方してもらうということを繰り返していました。

このように、官学医が一体となって発達障害の子供たちに対する支援体制が出来上がっていました。

個人主義前提の国ならではの文化のため、長男の浮いた行動もイジメにまでは発展せず、クラスメイトも先生も彼の個性として暖かく受け入れてくれ、学校に行く度に担任は息子を賞賛してくれました。

学校のダンス発表会でもセンターを任せてもらい、学校に行きたくないと言った日はなく、生き生きと過ごしていました。

中学校になってから多少のイジメはあったようですが、学校側の取り組みで結果的にイジメてきていた子とも友達となり、何よりも近所の公立図書館の図書館員のお兄さんと映画や日本のアニメの話で意気投合し、とても可愛がってくれました。

 

日本の中学三年生〜専門学校中退まで

義父の交通事故を機に女房の帰国願望が募り、最終的に帰国する事に決断した我が家は、子供たちの幼馴染みがいるという理由で東京の同じ町に戻ってきました。

中学校三年生で転校してきた長男は日本の高校受験に対応出来る学力も無く、発達障害も相まって、凄惨なイジメにあいます。

幼稚園時代の幼馴染とは疎遠になり、クラスのヤンチャな男の子たちにトイレで押し倒され、馬乗りになって殴られたり、クラスでは全く友達が出来ず、不登校になりました。

学校側は我が家の問題として何かしらの手立てをしてくれることもないため、不登校の子どもたちを支援する学校に通う事になりました。

高校は一般の高校の試験には対応出来ないため、私立の不登校や問題を抱える子どもを預かる学校に通うことが出来ました。

正規の高校ではないため、通信の試験を受けることで高校卒業資格を得ることが出来る学校です。

長男は相当にその学校を忌み嫌ってました。最初の一年は学校に通わす事に相当苦労しましたが、二年生ぐらいから規則正しく通ってくれるようになり、担任の先生のお陰で、日本の社会で適応出来る社会常識と礼儀を身に付けてもらいました。

大学受験は学力的に無理だったため、彼の興味のある映画製作の学べるコンピュータ専門学校に通わせましたが、結局授業に付いて行けず不登校となったため、退学させて今はフリーターをやっています。

学校を辞めさせた時はこのまま引き篭りになるのではと心配しましたが、乃木坂にハマってくれたお陰で、彼女たちのコンサートや握手会行きたさに、自らバイトを始め、今は少しずつ社会に適応していってくれています。

 

まとめ

日本に帰国してから発達障害を認定してくれる病院を探すことも苦労しましたし、その診断料も高く(オーストラリアは入院以外は医療費は無料)、また公立の学校では一切支援の手は差し伸べられませんでした。

発達障害の認知度も低く、NPOが講演会を開いて啓蒙しているのが日本の現状です。

長男は東京だったため、特別な高校もお金を払えばありましたが、私の小学校の同級生の女性は、息子さんがもっと深刻な発達障害を持っており、奈良ではそのような学校も支援施設も無いと苦慮していました。

 

文科省・日教組・教育委員会・学校・先生、ヒエラルキーの底辺の先生たちに負担ばかり強いて、いじめや自殺などの問題が起きた時に学校長は上の顔を伺い何も言わず、教育委員会は何も機能せず責任逃れに奔走する。私がニュースを観て感じることはそれだけです。彼らの存在意義は何なのでしょうか?

組織を維持する事に時間と金を費やし、教育現場に起こる様々な問題に、何かしら具体的改善を実施しているのでしょうか。

私の勉強不足なら申し訳ないですが、少なくとも、私が子供の頃の学校の記憶と今の子供たち、特に弱者に対して劇的に改善されていると感じるものは何一つありません。

 

「旧優生保護法」や「らい予防法」などの優生思想のはびこる国の過ちが見直されたのも、ほんのこの10年の事です。

子供を産まない女性に対し、生産性が低いなどと蔑視する発言をする政治家もいます。

国民を収益性や生産性で計りにかける傾向の強いこの国の、政治や社会、民度のレベルはまだまだ低いと感じています。

 

 

結局、かたっ苦しい話で終始してすみません。(^_^;
最後まで読んで頂き有難うございました!

それでは!